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東京地方裁判所 昭和31年(ワ)5663号 判決

原告 植田敦美 外一名

被告 国

訴訟代理人 武藤英一 外二名

主文

原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

(双方の申立)

原告等訴訟代理人は、「被告は、原告植田に対し金二〇万円、原告中西に対し金三〇万円及びそれぞれこれに対する昭和二八年七月二五日より右各支払ずみに至るまで各年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告指定代理人は、主文同旨の判決を求めた。

(原告等の主張)

一、原告等は、いずれも昭和二六年二月四日に昭和二五年政令第三二五号占領目的阻害行為処罰令違反の疑いで逮捕留置され、原告植田は翌々六日、原告中西は翌五日勾留され、身柄拘束のままいずれも同月二四日前橋地方裁判所に起訴せられたが、その公訴事実の要旨は、原告植田は「同人は昭和二五年一二月より、同二六年一月にかけ群馬県前橋市内等において半沢寅吉等に対し、連合国最高司令官より日本国内閣総理大臣宛の昭和二五年六月二六日付及び同年七月一八日付各書簡による指令(以下、最高司令官の指令という)に基き発行を停止されていた日本共産党機関紙「アカハタ」の後継紙たる「平和のこえ」を頒布して同紙の発行行為に及び、以つて右指令の趣旨に反し占領目的に有害な行為をしたものである」というのであり、原告中西は「同人は、昭和二六年一月群馬県北群馬郡渋川町において宮下利七等に対し、右「平和のこえ」を頒布して同紙の発行行為をなし、以つて右最高司令官の指令の趣旨に反し占領目的に有害な行為をしたものである」というのである。ところで、同裁判所は原告等に対し、一旦保釈の決定をしたので一時原告等は釈放されたが、その後右取消の決定があつたため両名とも再び収監され、その後いずれも実刑の有罪判決を受けたため東京高等裁判所に控訴したが、同裁判所において各控訴棄却の判決を受け更に最高裁判所に上告したところ、同裁判所は原告両名に対しその勾留の執行を停止してこれを釈放したうえ、右政令第三二五号は少くとも右最高司令官の指令の違反を処罰する範囲においては昭和二七年四月二八日連合国と日本国との平和条約(昭和二七年条約第五号)が発効するとともに失効したとの理由により、原告植田に対しては昭和二九年四月一四日、原告中西に対しては同年五月二六日それぞれ免訴の判決を下したのである。

以上述べたように、原告等は、右各裁判所の裁判官の勾留に関する裁判により、昭和二六年二月より同二八年七月最高裁判所において勾留執行停止の決定を受けて釈放せられるまで勾留を継続せられていたのであつて、右のうら、前記平和条約発効以後の勾留日数は、原告植田において二九七日、原告中西において四五二日であり、その詳細は別紙一覧表のとおりである。

二、右各勾留のうち、平和条約発効以後の勾留たる原告植田に関する二九七日、同中西に関する四五二日の各勾留は、国の公権力の行使にあたる公務員たる別紙記載の各裁判官(右平和条約発効前に本件勾留に関与した裁判官を除く。以下同じ)が原告等に対し、その職務行為である勾留に関する措置を執るにあたり、故意又は過失により、違法な職務行為を行つたことに因るものである。

すなわち、先ず違法な職務行為であるとの点については、別紙記載の各裁判官が右平和条約発効後においてもその自らなしたる勾留を職権をもつても取り消すことなく、或いは、進んで勾留更新の決定をなす(以下、これらを総称して本件勾留に関する措置という)については、その前提として前記政令第三二五号の有効なることを前提として刑訴六〇条によりこれが措置を執つたものであるところ、右政令第三二五号は前記平和条約の発効と同時に違憲の法令として当然に且つ全面的に失効したものと解すべきであるから、右各裁判官は原告等に対し、右平和条約発効後は、勾留に関する他の要件を審査するまでもなく、すでになされた勾留を取り消すべきであり、或いは、新たに勾留更新の決定をなすことは許されないにもかかわらず、前記のような本件勾留に関する措置を執つたことは、正しく違法の職務行為といわなければならない。

次に、右各裁判官に故意または過失があるとの点については次のとおりである。

1  違法行為を行つた者の故意とは、当該違法行為の要件事実の認識をもつて足り、その違法性の認識までを要するものではない。いまこれを本件についてみると、その要件事実とは刑訴六〇条にのつとり、前記政令の違反事実並びにその他の要件事実のあることを判断して勾留を取り消さず又は勾留を継続することにあるところ、右各裁判官が右認識を有して本件勾留に関する措置を行つたことはいうまでもないことであるから、右各裁判官には故意があるものといわなければならない。

仮に故意には違法性の認識までも要するとしても、右各裁判官は、原告等がその弁論再開申請、保釈請求等の機会においてくりかえし本件政令第三二五号が失効した旨を主張しているのに接しているわけであるから、右政令が前記平和条約発効後は違憲にして効力なきものであること、したがつて右政令を適用して原告等の勾留を続けることは違法であることを充分認識していたものである。

2  仮に右が理由がないとしても、右政令が、少なくとも上記最高司令官の指令の違反を処罰する範囲においては平和条約発効の時より違憲の法令として失効したものであることは極めて明らかなことであり、右各裁判官も本件勾留に関する措置をなすに際し、裁判官として用うべき通常の注意義務を払えば当然これを認識すべかりしにもかかわらず、右義務を怠り漫然これを合憲にして有効な法令として取り扱つたため本件の如き違法な勾留措置がなされたものであるから、右各裁判官には過失があるものといわなければならない。

3  仮に以上が理由がないとしても、右各裁判官には過失を推定すべきものである。すなわち、右各裁判官が本件勾留に関する措置を執つた後、前記のように最高裁判所において本件政令第三二五号の違憲、無効なることが確定し、したがつて右各裁判官の執つた措置の違法なることが明らかにせられた以上、さかのぼつて右各裁判官には右措置の当時過失があつたものと推定すべきである。けだし、そのように解して右措置により加えられた損害の賠償されることを可及的に図るようにしなければ、新憲法が裁判所に対していわゆる違憲立法審査権を与えた意義が充分発揮されず、また、国民の基本的人権も充分擁護されないからである。

右の主張はまた次の点からもこれを裏付けることができる。すなわち、原告等が本件訴訟において準拠している国家賠償法に対し、その特別法の立場にたつ刑事補償法によれば、刑訴等の手続によつて未決の拘束を受けた者が後に無罪または一定の場合の免訴等の判決を受けた場合に行う刑事補償については、右拘束に関与した裁判官等に故意、過失のあることは一切要求されていないのであつて、このことは同法がかゝる場合には右裁判官等に過失を推定していることを示すのである。しからば、これからも原告等の右主張のような考え方を導き出せるものといわなければならない。

三、原告等は、右違法な勾留により上記の期間その身柄を拘束されたものであつて、このため原告等はその貴重な青春の時期において犯罪嫌疑者の名の下に長期間獄窓に呻吟したのであり、その身体的精神的損害はこれを金銭に換算して各一日、一、〇〇〇円相当と評価すべきである。したがつて、原告等は国家賠償法一条一項の規定に基き被告国に対し、金一、〇〇〇円に原告等の上記各勾留日数を乗じた額、すなわち原告植田において二九七、〇〇〇円、原告中西において四五二、〇〇〇円のうち、とりあえずその内金として原告植田は二〇万円、同中西は三〇万円及びそれぞれこれに対する右違法行為たる各勾留の終了した後もある昭和二八年七月二五日より右各支払ずみまでそれぞれ民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。

(被告の答弁)

一、原告主張一の事実は認める。

二、同二及び三の事実は争う。

1  本件勾留に関する措置が違法でないとする理由は次のとおりである。

(一)本件訴訟において審判の対象となつているのは、国家の司法権の行使たる裁判そのものの是非である。ところで、国家賠償法一条の規定によれば、同法による請求を審判する裁判所は、国の公権力の行使にあたる公務員がその職務を行うについて他人に損害を加えた場合の行為ならそのすべてについてその違法性の有無を判断できるかのようにみえるけれども、しかしもしその行為が裁判官の行う裁判である場合には、そこに自ら一定の限界があるものといわなければならない。けだし、裁判というものは、一定の事実の認定とこれに対する法律の適用を中心とするものであるところ、右法律の適用については、わが国法は法の解釈適用の決定権を何ものからも独立した司法裁判所に委ねているのであつて、裁判官はその職務として法の解釈適用を行う場合には、当該事件についての上級裁判所の判断或いは他の判決の既判力等により拘束を受けるほかは、他の何者からも拘束されないとともに、他の者も亦これに対し制度的に何等かの批判干渉を加えてこれを違法なりとすることは原則として許されないところである。しかも元来法の解釈適用という仕事は、自然科学におけるが如く時と場所とを超越して妥当する唯一絶対の真理を探求確立することではなく、考えられ得る数種の結論の中からその者がその時その場所において最も妥当なりと信ずる一つの結論を導き出す思考過程の作用であつて極めて巾の広い作業であり、その導き出された結論が是か他の結論が是か容易に断定し得ず、すなわちそこには通常違法か否かという問題を生ずる余地がないのである。以上の例外として違法の問題を生じこれが審判を為し得るのは、司法裁判所が法の解釈適用をなすに際し、すでに廃止されたことが明らかな法令を適用し、または明文の規定を忘却するなど法の解釈適用の範囲を全く逸脱している場合に限られるものといわなければならない。

いまこれを本件についてみるに、本件政令が--上記最高司令官の指令の違反を処罰する場合においても--合憲にして有効な法令なりや否やは、後にも触れるように、極めて複雑難解のことであつて、これをそのいずれに判断したにせよそこには法の解釈適用の範囲を全く逸脱したとの評価を為すべき余地の全然存しないことは明白なことであるから、上述したとおりの理由により、本件受訴裁判所は上記各裁判官のした本件勾留に関する措置の違法なりや否やを判断できないし、また、右の措置は違法でもない。

(二) また、本件勾留に関する措置が違法でないことは、勾留に関する裁判の性質からも論証することができる。すなわち、勾留または勾留更新の裁判は、刑訴六〇条にのつとつて行われるところ、右六〇条は、勾留という制度の暫定的性質にかんがみ、その勾留の理由は「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある場合」で且つ同条一項各号または二項に規定された要件を充たす場合ならば右裁判をなし得る旨規定する。しかして、右にいう「相当な理由」とは、単に事実の認定における蓋然性のみならず、法の解釈適用におけるそれをも均しく包含しているものというべきであつて、このことは、勾留に関する裁判は事柄の性質上終局的判断を要求されるべきではなく、しかも多くは極めて緊急になされることが要請されるということからみて明らかなところである。したがつて、勾留に関する裁判においては、有罪判決を受ける蓋然性及び有罪とする法解釈の許容される相当の根拠があれば(なお他の要件事実の具わるべきことは勿論である)、被疑者ないしは被告人を勾留することが許されるものと解すべきである。そして本件において、上記政令につき原告等を有罪とする法解釈の許容される相当の根拠があることは上述したところより明らかであり、しかも原告等は他の要件事実(犯罪事実の蓋然性及び刑訴六〇条一項各号及び二項の要件事実)は何等争つていないのであるから、この意味においても本件勾留に関する措置を違法とすることはできない。

2  次に、本件各裁判官に故意・過失がないとする理由は次のとおりである。

(一) 右各裁判官に故意のないこと、すなわち本件勾留に関する措置を執る当時、本件政令が--上記最高司令官の指令の違反を処罰する場合においても--違憲にして無効の法令なりとの認識を有していたと認められないことは、上述来述べるところにより明らかである。

(二) 過失のないことも亦明らかである。すなわち、仮に本件政令が少くとも右指令の違反を処罰する範囲においては違憲にして無効のものであつたとしても、それが裁判官として通常用うべき注意義務を払えば当然認識し得るものといえないことは、右政令の効力の解釈が極めて複雑難解であることが何人にとつても明らかであるということからも当然いえることであるのみならず、現に、上記平和条約発効後も、右政令の右指令違反を処罰する場合の効力の有無につき、全国の下級裁判所の判断が大きく二つにわかれたこと、また、これに関する最高裁判所の判決においてすら意見が三つにわかれたという周知の事実からみても明らかななところであろう。

(三) 最後に、本件につき後に最高裁判所において本件政令を結局違憲、無効とする判決がありこれが確定したからといつて、さかのぼつて本件各裁判官に過失を推定すべきものでないことも論を俟たない。

原告等がその主張の根拠の一とする違憲立法審査権担保の点については、仮に違憲判決の効力につき広い立場をとるいわゆる一般的効力説(違憲なりとされた法律は一般的確定的に無効になるとの説)をとつたとしても、その効力が、その判決前に当該法律を合憲なりとした裁判官に過失があつたものと推定するところまで及ぶと考えるような余地は全くないし、また、原告等のいう基本的人権擁護の点についても、それだけをもつて国家賠償法の規定の解釈をそこまで拡張することは許されないのみならず、この点は刑事補償法の存在をもつて充分まかなわれているものと考える。なお原告等は、刑事補償法の規定から逆に右の主張を論証し得るとするが、同法は、身柄を拘束した裁判官等に故意過失のあることを一切要求せず、これのあることによつて更に処理すべき問題は一切国家賠償法に委ねているのであるから、右補償法が裁判官等に過失を推定しているとして、これと同一の考え方を本件のような場合に持ち込もうとする原告等の主張も亦理由がない。

立証〈省略〉

理由

一、原告等主張一の事実は、当事者間に争がない。

二、そこで、先ず本件勾留に関する措置が違法であるか否かにつき考えるに、被告は、この点に関し、それが法の解釈適用の範囲を全く逸脱したような場合の外はこれを審判できず、または、これを違法と評価する余地はないと主張するが、国家賠償法は同法一条一項において国(または公共団体)の公権力の行使にあたる公務員がその職務を行うにつき故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは国(または公共団体)がこれを賠償する責に任ずる旨規定し、これを理由とする訴のあつたときは裁判所はこれを審判するについて当然それらの要件を審判する権限と義務を有するものである以上、当該公務員が裁判官であり、その行為が純粋の司法作用たる裁判そのものであつて且つ問題になつている事項が法の解釈適用に関する事項であつたとしても、それが違法になされたか否かについてはなお一般の場合と同じくこれを判断し得るものといわなければならない。けだし、裁判官の行う裁判というものが-当該事件における上級審の判断に拘束される場合のような一定の制度的拘束の場合を除き-他から全く独立して行われるということ、あるいは、裁判における法の解釈適用という作業が種々の可能性ある結論の一を選ぶという極めて巾の広い作用であるということは被告所論のとおりであるけれども、しかし、国家が、他の公益上の目的のため、他の裁判所をして当該裁判官の行つた裁判(法の解釈適用を含む)の適法性の有無を判断せしめることは、別段司法制度の本質または法の解釈適用の本質に反しているとはいえないのであつて、ただ問題の対象となつている裁判においてそれが適法になされたかどうかはもつぱらその事件においてのみ確定されるべきものであるというにすぎず、その裁判がその事件外においてなんらの影響をもたらす可能性のある場合にその裁判の適否を当該事件の裁判所(上訴及び再審裁判所を含む)以外のものが審査し得るということとは厳に区別しなければならないのである。したがつて、右国家賠償法が国(または公共団体)の公権力の行使にあたる公務員の不法行為から広く国民の権利を守り、その受けたる損害の賠償を得させることを目的として立法されたものである以上、同法による訴を受理した裁判所としては、その審判の対象がたとえ裁判官の行つた裁判であつたとしても、受訴裁判所としての自由な且つ独自の立場から右裁判(そこで執られた法の解釈、適用を含む)の違法性の有無を判断し、もしそれが違法である(且つ故意または過失がある)と判断したときは進んでその損害の賠償の点まで審判していくのでなければ、広く公権力の違法な行使から国民の権利を守ろうとする同法の立法目的は充分果されないことになるといわなければならない。

そこで進んで本件勾留に関する措置の内容に立ち入つて考えるに、本件各裁判官の勾留に関する措置は刑訴六〇条にのつとつて行われたものであるところ、原告が右措置を違法なりとする所以は、右措置が同条一項に規定せられた要件たる「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由のある場合」につき、違憲にして失効した法令を合憲、有効な法令としてこれに違反した行為をもつて犯罪の嫌疑あるものとの認定をしたという点にあるのであるから、右適用法令たる上記政令第三二五号の効力につき考えることとする。ところで、被告は、この点についても、勾留の暫定的性格にかんがみ、勾留に関する裁判の際適用さるべき実体法規の合憲にして有効なることについては、犯罪事実の嫌疑の程度と同じく「相当な理由」があれば足り、右法規が仮に元来違憲、無効のものであつたとしても、それが勾留の当時一応有罪の根拠法規となると考えられ得るような場合ならばその勾留は結局違法とならないのであつて、本件の場合は正しくこの場合に該当すると主張するが、元来裁判というものは、結局法の正しい適用をその目的としている以上、それが如何なる形態の裁判であるにせよ、その法の適用はその場合において最も正当なりと信ぜられる法の適用でなければならず、ある法令の効力の解釈につき考えられ得る二以上の見解があるからといつて漫然その一を採用して裁判をなすが如きは裁判という司法作用の本質に反するのみならず、殊に勾留に関する裁判のようにいやしくも人身の自由に直接関連した裁判を行う場合に右のような漫然たる態度が合理化される余地は全く存しないものといわなければならない。したがつて、同条第一項にいう「相当な理由」とは、勾留制度の特殊性に照らしし犯罪事実の認定において特に認められた要件にすぎず、法の解釈適用の場面には妥当しない概念である。であるから、勾留に関する裁判のように一面暫定的性格を有するものについても、その法の解釈適用は常に終局的に為されねばならず、したがつて亦勾留についてなされたある法の解釈適用があやまりで元来違法のものであるにもかかわらず、勾留の当時適法のようにも考えられ得る相当の理由があつたからといつて、かかる勾留に関する裁判を違法と評価できないものであるとすることはできないのである。そこで、本件勾留における法の適用が適法であつたか否かを考えるに、当裁判所は、上記政令第三二五号は、少くともそれが上記最高司令官の指令の違反を処罰する限りにおいて、上記平和条約の発効した昭和二七年四月二八日以後は、わが憲法に違反して失効したものと解するものである(最高裁判所大法廷、昭和二七年(あ)第二、八六八号事件、昭和二八年七月二二日判決参照)。したがつて、原告等に対しても、その時右平和条約発効後は、これを適用してその勾留を継続せしめることは許されず、また、すでになした勾留は職権をもつてもこれを取り消すべきものであるところ(刑訴八七条参照)、本件勾留に関する措置は右に反してなされたものであるから、これは正しく違法の行為というの外ないのである。

三、そこで、進んで本件各裁判官の故意または過失の有無について判断する。

1  ここに故意とは当該違法行為の要件事実の認識をもつて足ることは原告所論のとおりであるけれども、その要件事実とは、本件の場合、右政令第三二五号が平和条約発効後は違憲の法令として失効したことを認識しながら、これを有効としてその違反事実の嫌疑その他の要件事実を認定して原告等を勾留することをいうのである(原告等は、右認識のあることを違法性の認識のある場合と解している如くであるが、違法性の認識とは、この場合、すでに失効した法令を適用して裁判をなすことは違法であつて許されないということまでを認識していることをいうのであつて、本件の場合それまでの必要のないことは前記のとおりである)。

しからば、本件各裁判官が右政令の効力につき如何なる認識を有していたかについては、右各裁判官が原告等に対し右政令を適用して勾留に関する措置を執つている以上、特に反証のない限り、右政令は合憲、有効な刑罰法規なりとの見解に基きこれを適用して右措置を執つたものと推定せられるところ、右各裁判官が本件政令は平和条約発効後においては実は違憲の法令として失効しているということを認識しながらあえてこれを適用して右借置を執つたとの証拠は全然存せず、原告等提出の甲第二ないし第一三号証も、原告等が右政令は失効したとの自己の主張を右各裁判官に知らしめたというにとどまり、これをもつて右各裁判官がそのような見解を有するに至つたとの証拠とはならず、その他に右認定を左右する証拠はない。しからば、右各裁判官には本件違法な勾留に関する措置をするについて故意はなかつたものというべきである。

2  次に、右各裁判官には右の点について過失もなかつたものと認められる。

すなわち、ここにいう過失とは、右各裁判官が裁判官として用うべき通常の注意義務を払えば当然本件政令の違憲にして失効したものであることを認識すべかりしにもかかわらず、右義務に違反したため漫然これを合憲にして有効なものと判断したことを意味するところ、本件政令については-上記最高司令官の指令の違反を処罰する場合についても-それが果して平和条約の発効後においても合憲であるか否かについては、極めて複雑難解な法律問題を含んでおり、これに関する見解が自ら多岐にわかれ得ることは当然考えられるところであつて、現にこの点に関する前記最高裁判所大法廷の判決のなされる以前多くの下級審の裁判所は帰一するところがなく、右大法廷判決においても裁判官の意見が両説にわかれ(更に、失効説の内部においても二説にわかれ)ているところからみても、本件政令を合憲有効とみるも、違憲、無効とみるも、いずれも法の解釈適用の合理的範囲内での見解といわなければならない。したがつて、本件政令の効力に関し、当裁判所としては平和条約発効後は右政令は違憲にして失効したものと考えるのであるが、これに反する見解がそれ自体論理法則ないし経験則に反するものとはいい得ず、本件勾留に関する措置の当時、右各裁判官が裁判官として用うべき通常の注意義務を尽せば当然この違憲失効の旨を認識すべかりしものというような筋合のものでないことは明らかであるから、この点に関する原告の主張も理由がない。

3  更に、右各裁判官に過失を推定すべきだとするのも正当ではない。

原告等のいうところは、「勾留に関する裁判のあつた後、その基礎となつた刑罰法規が右勾留の当時すでに憲法違反の故により失効していたとの裁判が確定し、しかも右勾留により国民に損害を加えていたような場合」には、右勾留に関する裁判をした裁判官に過失を推定すべきだというのであるが、もしそれが文字通り「過失の推定」の意味だとすると、右のような場合に一般に直ちに過失を推定することのできないことは多言を要せず、殊に体件のように右2で判示したような複雑微妙な法解釈の合理的範囲内のできごとについては過失の推定ということの考える余地のないことは自ら明らかであろう(したがつて、当裁判所としても右2において、本件各裁判官に過失を推定したうえ、その反証の有無をみるという方法はとらなかつたのである)。原告等は、違憲立法審査権の実効的保障または基本的人権の擁護の見地から右のように「過失の推定」があるべきだというが、これはある目的のためには裁判における論理法則の適用ないしは実定法規の解釈を逸脱したような結論の出ることを是認する議論であつて到底採ることができない。むしろ、原告等の言わんとするところは、前述したような事情のある場合には、勾留に関する裁判をした裁判官に「過失があつたものとみなす」べきであるとするところにあるのではないかと思われるが、原告等の挙げるような違憲立法審査権の実効的保障または基本的人権擁護の見地からそのような立法のなされる余地のあることは首肯できないこともないが、そのような擬制規定のない現在においてはこのように「過失があつたものとみなす」ことのできないことも多言を要しないであろう。なお、原告等は、右のように過失を推定ないし擬制すべき根拠の一として、刑事補償法の規定を引用するが、刑訴の手続により勾留せられた者が後に無罪または一定の場合の免訴等の判決を受けた場合の右勾留による損害の補填については、国家賠償法と刑事補償法は一般法、特別法の関係にたつものであつて(憲法一七条、四〇条、刑事補償法五条一項等参照)、一般法たる国家賠償法の規定が特別法たる刑事補償法に補充的に適用されることのあり得るのは格別、刑事補償法の規定ないしその立法趣旨をもつて一般の国家賠償事件を律することのできないのは明らかである。いまこれを本件についてみるも、刑事補償法が当該公務員に故意過失を要求していないからといつて、これを直ちに国家賠償法の世界に持ち込めないのは勿論、刑事補償法が右のように故意、過失を要求しないのはその特殊な立法目的に照らしてのことであつて別段当該公務員に故意または過失を推定ないし擬制したうえのことではないから、刑事補償法の規定から「裁判官の過失の推定または擬制」という考え方を国家賠償法の世界に導入する余地は存しないものといわなければならない。原告等のこの点に関する主張も亦理由がない。

四、したがつて、本件各裁判官が原告等に対してした勾留に関する措置は違法であつたとの評価は免れないとしてもそこには故意または過失を認めることができないから、これらのあることを前提とする原告等の本訴請求は、爾余の争点に関する判断をまつまでもなく失当としてこれを棄却すべく、訴訟費用は敗訴した原告等に負担させることとして主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤完爾)

一覧表〈省略〉

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